2019.0115

東京大学の統合報告書―ビジョンや戦略、実績を伝えて共感を引き出す

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3行でわかるこの記事のポイント

●「年度ごとの財務中心の情報では、伝えられることに限界」
●背景には運営費交付金削減、多様なステークホルダーとの対話の必要性
●企業の事例を参考にしつつ、アカデミアならではの独自スタイルを追求

東京大学は2018年10月、従来の財務レポートに代わる統合報告書を公表した。東京大学がめざすゴールとそこに到達するための戦略、教育や研究、社会連携、運営等の活動実績を一つのストーリーにつなげて紹介。義務としての説明責任という消極的な姿勢ではなく、主体的・戦略的な情報発信によってステークホルダーの共感を獲得し、支援してくれる「東大ファン」を増やすことがねらいだ。学内外の評判も上々で、次年度以降も継続的に製作する予定だという。

*東京大学の統合報告書はこちら


●企業価値の捉え方の変化を受け、国内400社が公表

 統合報告書とは財務情報と非財務情報を結び付けた報告書で、企業の間で製作の動きが広がり、日本では約400社が公表しているとされる。どのような企業理念やビジョンの下で継続的に利益を上げようとしているのか、具体的方策と合わせてまとめられている。売り上げや利益だけで企業価値を表すことが難しくなり、環境やダイバーシティなどへの配慮を含めた持続的成長の可能性に株主や社会の関心が高まっていることが背景にある。
 東京大学の統合報告書について、製作委員会事務局を担当した経営企画部IRデータ課の青木志帆課長は「自分たちが行く道やパフォーマンスの情報をステークホルダーと共有して共感してもらい、教育・研究に対する支援(先行投資)を呼び込むためのツール」と説明する。統合報告書に詳しい専門家によると、東京大学の統合報告書は国内の大学では初、世界でも10校弱しか例がないという。
 「IR×IR 東京大学統合報告書2018」は全72ページ。全ページカラー、厚手の紙のらせん綴じでカタログのような趣きだ。白地に大学のシンボル・赤門のデザインを配したシンプルな表紙が印象に残る。

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 扉ページでは、「信仰の対象」だった仏像に「美術」という新たな価値を見いだし、世界に紹介した帝国大学1期生・岡倉天心のエピソードを紹介。学問による「パラダイム転換」の醍醐味を伝えている。

●「ステークホルダーが求めているのは財務情報だけではない」

 東京大学はなぜ、財務レポートから統合報告書に切り替えたのか。
 同大学は従来、国立大学に義務付けられている賃借対照表や損益計算書等で財務情報を公表し、財務レポートはこれらを補う情報として主体的に出してきた。しかし、このような定型的な資料で、企業会計とは仕組みが根本的に異なる大学の経営状況を一般の人が理解するのは難しいとの認識があったという。
 「大学の実態を理解してもらうためのあるべき情報開示とは?」。学内でそんな議論が出るようになったのは2015年頃のことだ。背景には、国からの運営費交付金が徐々に減らされる中で多様な出資者を募る必要に迫られていること、わかりやすい情報開示が国立大学に求められていることがあった。
 当初は「わかりやすい財務情報の開示」をめざして検討を始めたが、有識者との議論を重ねる中で「大学の事業成果を伝えるには、研究や教育などの非財務情報が必要」と考えるに至った。単年度の実績だけで大学を語ることの限界も感じた。同大学は、やはり法律で義務づけられている事業報告書で非財務情報も開示してきたが、「標準様式に基づく報告は無機質な内容になりがちで、読者の関心を呼び起こすのは難しい」(青木課長)。

●創設140周年にあたっての学長の決意を統合報告書で

 こうした問題意識の下、2017年4月設置のIRデータ室が収集する教育、研究、社会連携等の情報を活用して、ステークホルダーに何を提供すべきか検討した。金銭に換算できない価値を生み出す大学の存在意義を伝える手法を模索する中、企業の統合報告書に着目。国際統合報告評議会(IIRC)が企業を想定して作った報告書のフレームワークと、それを活用した国内企業の報告書を分析した。未来志向で組織の理念やビジョンと具体的取り組みを説明する手法が、自分たちのイメージするものに近いと考え、2017年秋、統合報告書製作にチャンレンジすることを決めた。
 それは、法律で義務付けられた最小限の項目を定型フォーマットの中で出して説明責任を果たすという姿勢から、自学のことを深く知り、好きになってもらうための主体的・戦略的な情報開示への転換を意味していた。
 東京大学は2018年、創設140周年にあたり五神(ごのかみ)真総長が「地球と人類社会の未来に貢献する『知の協創の世界拠点』の形成」という構想を掲げた。統合報告書では、よりよい未来社会を目指して社会のあらゆるセクターの人々と一緒に行動していくという学長の決意を、幅広いステークホルダーに発信すべきと考えた。

●「大学の使命は学術による社会貢献である」と発信

 IRデータ室を事務局とする製作委員会は、本部各部署の職員、リサーチアドミニストレータ(URA)、総長補佐の教員ら21人で構成。委員長は置かず、青木課長が座長を務めて全員がフラットな立場でブレーンストーミングを重ねた。
 学問は本来、利益を生み出すものではなく、アウトプットまでに長期間を要することもあるという大学の特殊性、企業との違いをふまえ、企業向けのフレームワークをそのまま活用することは望ましくないとの考えを確認。大学が伝えるべき情報は何か、徹底的に議論した。「作る側に「やらされ感」があったら、読み手にとって面白いものなどできない。私たち自身の『伝えたいこと』にこだわった」と青木課長。
 その結果、「大学の使命は学術による社会貢献」というコンセプトの下、「学問の成果は数十年、数百年かけて現れることもあるが、社会を確実に良い方向に導くものである」というメッセージを届けることに。読み手が「学術に投資しても直接的なリターンは約束されないが、社会が良くなれば結果として自分や自分の大切な人の幸せにつながる。だから東京大学を応援したい」と受け止めることが、報告書のゴールとなる。

●情報量を抑え、読みやすくわかりやすいものに

 「組織が何者でどこに向かおうとしているのか、その理由と実現可能性を伝えるのが統合報告書だ」という学外の専門家のアドバイスをふまえ、全編を1つのストーリーにつなげる形で次のような構成にした。

(1)総長挨拶
  地球規模で起きている問題の提起
(2) 東京大学の戦略
  研究、教育、社会連携、運営の各分野で東京大学が問題にどう関わるか
(3)東京大学の原動力
  140年の歴史(過去の実績から問題解決に導く力があることを示す)
  多様な資源(140年間で培ってきた多様な資源を紹介)
(4)活動実績
  これらの資源を使って展開してきた教育、研究、社会連携等の活動

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 扉ページの「仏教の定義のパラダイム転換」というエピソードを受け、五神総長は「知識集約型社会へのパラダイム転換に貢献する大学」と題する挨拶文を寄せた。以降のページも「知識集約型社会」「パラダイム転換」といったキーワードを下敷きにして展開される。
 一般の人が手に取ってページをめくる気になり、内容を理解できるよう情報の詰め込みすぎを避け、図や写真を多用して読みやすくわかりやすい報告書をめざした。

●教員から「大学と社会のつながりを俯瞰的に捉えられる」との評価

 2018年10月、統合報告書が完成した。卒業生を集めるホームカミングデーに合わせて財務状況を説明する「株主総会」でお披露目する一方、大学のウェブサイトでも公開。URAや渉外活動担当の職員からは「寄附者など学外のステークホルダーに会う時、本学を紹介する冊子として活用しやすい」との声が届いている。経営協議会の学外委員からは「東京大学がどういうところか、非常にわかりやすい」との評価も。
 統合報告書がインナーコミュニケーションを深める役割も果たしている。製作開始前、青木課長らが本部の各部署を回って協力を仰いだ時には、趣旨も必要性もあまり理解されなかったという。しかし、製作を通して多くの職員が、全学がめざす方向の下での自分の業務の位置づけ、他部署の業務とのつながりに気づいた。完成後は「われわれ教員は自分の研究だけを通して社会とつながりがちだが、これを読むと大学と社会のつながりを俯瞰的に捉えられる」という声が出たため、全教員に配付することになった。2019年度の入学者にも配る予定だ。

●他大学での製作の広がりに期待

 青木課長は、2018年11月の中央教育審議会「2040年に向けた高等教育のグランドデザイン(答申)」で言及された「高等教育機関にかかるコストの明確化」を念頭に、「大学がコストだけを示しても、ステークホルダーには大学の価値や将来像は伝わらない」と指摘する。「東京大学がなぜ日本に必要なのか説明し、それに対する共感・納得をコミュニケーションの出発点にすべき。過去の実績だけではなく理念や価値観に基づくビジョン、そこへ向かう道筋を示す未来志向の報告書のほうが共感を呼び、共に歩もうと思ってもらえるのではないか」。 
 青木課長の意識ははや、次年度の統合報告書に向いている。今回、時間が足りず読ませる工夫が十分にできなかったという財務やガバナンスの情報に改善を加えること、英語版の充実が差し当たっての課題だ。
 青木課長は、統合報告書が多くの大学で作られ、高等教育全体に対する社会の理解が広がってほしいとの期待がある。「そのためには統合報告書フレームワークのアカデミア版が必要」と考えている。